Letswin cherish the simple thing in life

2021年のワールドシリーズをご家族と一緒に観戦。

シンプルなものを大切にする

著者:エリザベス・オコナー

2022年4月11日

•出産後の膵臓がんの診断
•化学療法、放射線療法、手術、およびその他の化学療法
•再発とより多くの手術
•遺伝子変異が見つかる
•PARP阻害剤による治療
•免疫療法の組み合わせによる治療

 

私は、2人目の子供が生まれてから2週間後、ステージIVの膵臓がんと診断されました。私は31歳でした。妊娠の途中で気分が悪くなりました。満腹感があるためあまり食べられませんでした。吐き気と嘔吐を経験し、体重が減り始めました。本当に疲れを感じていました。私の産婦人科医(OB/GYN)は超音波検査を行い、卵巣に大きな嚢胞を見つけ、そのサイズの変化を追跡するために定期的な超音波検査をすることにしました。

妊娠が進むにつれ、症状は続きました。妊娠34週目で、私は栄養補給を受けるために病院に入院しました。その 2日後、2010年10月20日、私は帝王切開で息子を出産しました。彼は6週間早かったので、新生児集中治療管理室(NICU)に直接送られました。同時に、私の方は腹部と肺に水がたまっていたために集中治療室(ICU)に送られました。そして、子宮摘出術を受けることになりました。

病院に2週間滞在した後、私は帰宅し、その2日後に生まれたばかりの息子が帰宅しました。彼が帰宅した夜、私は左腕が腫れていて、触ると暖かく感じるのに気づきました。その日の午後に受けた超音波検査で、腕に血栓が見つかりました。これはしばしば活動性の癌の兆候でもあります。私は血餅を溶かすために再入院しました。そこにいる間、私は内視鏡検査と結腸内視鏡検査の両方を受けました。両方のテストは陰性の結果で戻ってきました。そこで腹部CTスキャンを受けるように指示が出されました。そして翌日、医者は腹部CT検査の結果を共有するために私の部屋に入ってきて、「ステージIVの膵臓がんが見つかりました」と言いました。言うまでもなく、それはひどいショックでした。

Letswin cherish the simple thing in life

シンプルなものを大切にする

ステージ4で11年サバイバーのエリザベス・オコナ―さん。2021年のワールドシリーズをご家族と観戦して。

著者:エリザベス・オコナー

2022年4月11日

•出産後の膵臓がんの診断
•化学療法、放射線療法、手術、およびその他の化学療法
•再発とより多くの手術
•遺伝子変異が見つかる
•PARP阻害剤による治療
•免疫療法の組み合わせによる治療

 

私は、2人目の子供が生まれてから2週間後、私はステージIVの膵臓がんと診断されました。私は31歳でした。妊娠の途中で気分が悪くなりました。満腹感があるためあまり食べられませんでした。吐き気と嘔吐を経験し、体重が減り始めました。本当に疲れを感じていました。私の産婦人科医(OB/GYN)は超音波検査を行い、卵巣に大きな嚢胞を見つけ、そのサイズを追跡するために定期的な超音波検査をすることにしました。

妊娠が進むにつれ、症状は続きました。妊娠34週目で、私は栄養補給を受けるために病院に入院しました。その 2日後、2010年10月20日、私は出産し、帝王切開で息子を出産しました。彼は6週間早かったので、新生児集中治療管理室(NICU)に直接送られました。同時に、私の方は腹部と肺に水がたまったために集中治療室(ICU)に送られました。そして、子宮摘出術を受けることになりました。

最後に、病院に2週間滞在した後、私は帰宅し、その2日後に生まれたばかりの息子が帰宅しました。彼が帰宅した夜、私は左腕が腫れていて、触ると暖かく感じるのに気づきました。その日の午後に受けた超音波検査で、腕に血栓が見つかりました。これはしばしば活動性の癌の兆候でもあります。私は血餅を溶かすために再入院しました。そこにいる間、私は内視鏡検査と結腸内視鏡検査の両方を受けました。両方のテストは陰性の結果で戻ってきました。そこで腹部CTスキャンを受けるように指示が出されました。そして翌日、医者は腹部CT検査の結果を共有するために私の部屋に入ってきて、「ステージIVの膵臓がんが見つかりました」と言いました。言うまでもなく、それはひどいショックでした。

 

編集注:エリザベス・オコナ―さんは説明します。『卵巣に転移が広がっていて、左腸骨にも転移がみつかりました。祖母が膵臓がんでなくなっていましたが、私のように31歳の人が膵臓がんという話は聞きません。膵臓がんの統計は私の味方ではありませんでした。私たちは2番目の子供を妊娠するのに苦労したので、この膵臓がんのニュースにうちのめされました。私はこの2人の貴重な子供をもうけ、息子の1歳の誕生日を見ることができるのか、娘が6歳になるのを見ることができるのか、どれくらい時間が残されているのだろうかと思いました。私は特定の目標はたてませんでした。先のことは考えないで、1日ずつ対処することにしました。ただ生き残ることに専念しました。私は戦うことなく、がんに降参するようなことはしません。私の腫瘍内科医は本当に私に希望を与えてくれた最初の医者でした。彼は言いました。「誰もあなたの人生の水晶玉を持っていません。」 彼は正しい。私がこの地球にあと何日いるのか誰にも分かりません。そして彼は言いました。「手術は問題外です。放射線は問題外です。化学療法を始めましょう」と。そして、その結果、私の状態はすこしずつ良くなっていきました。』(ビデオインタビューからの抜粋)

■長い旅の始まり

私の最初の腫瘍内科医は、アトランタがんケアのダニエル・デュボフスキー先生(現在は引退)でした。私が最初に彼に会ったとき、彼は私にそれ以来忘れることのないこと、「誰もあなたの未来について予知できる水晶玉は持っていない」と言ってくれました。彼は私にたくさんの希望を与えてくれました。 デュボフスキー先生は、アリゾナ州スコッツデール市にあるオーナーヘルスのダニエル・バンホフ先生が会議で話すのを聞いて、彼に会いに行くように提案してくれました。ドゥボフスキー先生は、バンホフ先生とのアポをとるために必要なすべての情報を準備して助けてくれました。この二人の医者が私の治療を調整してくれました。

編集注:ダニエル・バンオフ先生は、膵臓がんの標準療法であるゲムシタビンとアブラキサン併用療法(GA)をアメリカで承認に導いた著名な腫瘍内科医です。2013年9月6日にアブラキサンは膵臓がんでFDA承認されました。

 

診断時、私は手術の候補者ではなかったので、最初の治療は化学療法でした。私は2010年11月に、ゲムシタビンとオキサリプラチン(GEMOX)を2週間ごとに注入する治療から始めました。そして 2011年6月にドゥボフスキー先生とバンホフ先生が私の治療プロトコールを変更しました。今度は2週間ごとにゲムシタビンとアブラキサン(GA)を与えられ、ゾメタは月に1回追加されました。私は2012年1月までこのプロトコールを続けました。

化学療法の開始から1年たった2012年の冬になると、CTスキャンが非常に有望に見えてきて、いよいよ手術を受ける準備が整いました。バンホフ先生は、ウィスコンシン州ミルウォーキーのフロエッドタート病院で、膵臓がん手術を専門とするエキスパート外科医であるダグラス・エバンス先生に会いに行って、手術が可能かどうかについて話し合うよう提案してくれました。エバンス外科医は私の手術を行うことに同意してくれたので、バンホフ先生は私が素晴らしい外科ケアが受けられると強く確信していました。

編集注:ダグラス・エバンス先生は、米国パンキャン本部医学諮問委員会の委員長をされた膵臓がんの領域では著名な外科医です。

 

最初に、アトランタのセントジョセフ病院のナンシー・ウィガーズ先生のケアの下で、膵臓と腸骨に6週間の放射線を浴びました。 2012年3月に私はミルウォーキーに向かいました。そこで、膵臓の尾部、脾臓、および胃の内壁の一部を取り除く手術を受けました。エバンス先生によって行われたこの手術は、8時間かかり、私の膵臓の75パーセントが切除されました。私は家に帰る前、手術から回復するためにミルウォーキーに3週間半を滞在しました。手術後、残っているがん細胞を殺すために5-FUの術後化学療法レジメンを開始し、それを約1年間、2013年4月まで続けました。また、がんが再発したかどうかを確認するために3か月ごとにCTスキャンをしました。

■成功、挫折、そして遺伝子変異

(肺転移と脳転移、手術と放射線療法)

術後2年目の2014年5月、私の医師は私の左肺に病変を発見しました。 2014年7月、私はアトランタのノースサイド病院でジョン・グールドマン先生によって肺転移を取り除くための手術を受けました。同じ頃、私は発作を起こし始めました。私の脳と脊椎のMRIは、癌が私の脳の左側に転移していることを明らかにしました。 2014年11月、ノースカロライナ州ダーラムのデューク大学病院でアラン・フリードマン先生による脳外科手術を受けました。その手術の結果、私は一側性下垂足(DropFoot)になり、足にブレースを使用しなければ歩けなくなりました。右腕の力も限られています。手術後、ジョン・カークパトリック先生と一緒に、同じくデューク・キャンサー・センターで、脳への定位放射線治療を1週間行いました。私はMRIのために3〜4か月ごとに彼に会い経過観察を続けています。

(PALB2遺伝子変異とオラパリブ、放射線療法とテモゾロミド、パミパリブの臨床試験)

2014年に放射線治療を受けた後、PALB2遺伝子変異を標的とするPARP阻害剤である化学療法薬リムパーザ(一般名オラパリブ)を服用しました(父も同じ変異を持っています)。私の状態は、定期的なCTスキャンで脳に別の病変が見つかった2018年まで安定していました。私は2018年7月にテモダール(一般名テモゾロミド)と一緒に2回目の1週間の定位放射線治療を受けました。私は2019年まで経口リムパーザを服用し続け、テモダールを追加しました。また、パミパリブ(BGB-290)と呼ばれる経口PARP阻害剤の臨床試験にも参加しました。

編集注:パミパリブ(BGB-290)は、開発中のPARP1およびPARP2の阻害剤です。血液脳関門への浸透やPARP-DNA複合体の捕捉などの薬理学的特性が指摘されています。

■定期的なモニタリングと免疫療法

(脳転移とカルボプラチン+放射線療法)

2019年から2020年を通して、私の医師は私の脳を注意深く監視していました。 2020年4月、MRIで脳内に疑わしい領域が見つかり、新しい化学療法薬であるカルボプラチンで治療を始めました。私は3週間ごとに注入によってカルボプラチンを受けました。この時、膵臓がんが頭皮に転移していることを発見しました。 2020年10月、頭皮のがんを取り除く手術を受けました。スコッツデールのオーナーヘルスのティモシー・ランキン先生が手術をしてくれました。彼はできるだけ多くの髪を救おうと努力してくださり、手術は素晴らしかったです! 2020年12月、今度は再発を防ぐために頭皮に放射線を照射しました。

(PALB2遺伝子変異とニボルマブ)

私の医師は、マイアミで行われているオプジーボ(一般名:ニボルマブ)とヤーボイ(一般名:イピリムマブ)の免疫療法の併用により顕著な治療成績を示したPALB2遺伝子変異を持つ進行膵臓がんの患者に関する研究論文を発見しました。私はこれらの2つの薬の組み合わせを4ラウンド行いましたが、私の医師は3か月目のCTスキャンで良い成果が見られたことに驚いていました。現在、4週間ごとにオプジーボ(一般名:ニボルマブ)の点滴を受けています。免疫療法は副作用がすくないので、私にとってはとても恵まれています。治療を受けたあと、すぐに自分の生活にもどることができるので助かっています。私は3ヶ月ごとにゾメタを受け続けています。

2018年にドゥボフスキー先生が引退したとき、ミング・チ博士が私の臨床医として治療を引き継いでくれました。彼女は素晴らしい先生です。同様に、バンホフ先生はもはや患者を見ていません。エルカット・ボラザンシー先生は私の現在の膵臓がんの専門家であり、彼は引き続きバンホフ先生と緊密に連絡をとり協力してくれています。 オーナーヘルスの私の看護師であるラナ・コールドウェル氏とゲイル・ジェームソン氏は、私の人生で最も困難な日々のいくつかにとても思いやりを持って接してくれました。彼らは本当に私を気にかけてくれる素晴らしい傾聴者です。医者、看護師、スタッフ全員が私にとって家族のようになりました! 

■シンプルな生活を楽しむ

IV期の膵臓がんと診断されたとき、11年後にここにくるとは想像もしていませんでした。しかし、私はここにいます。夫のパトリックと2人の子供、アビゲイル(16)とアンドリュー(11)と一緒に暮らし、旅行、映画鑑賞、子供たちのスポーツ観戦など、人生のシンプルな楽しみをすべて楽しんでいます。 2014年から2020年まで、私は幼稚園で教えていました。これにより、長年の治療と手術のすべてにおいて、本当の正常感が得られました。今は、家にいて専業主婦をしていますが、それが大好きです。私は、これほど気分が良くなったことは、ここ数年ありませんでした。食事を作ったり、洗濯をしたり、息子を練習に連れて行ったりすることは私にとっては祝福です。私は自分ができるすべてのシンプルなことを大切にしており、私の最優先事項は私の癒しと家族との時間を過ごすこと、それに集中しています。

 

■「私がいつもなりたかったお母さん」(英語ビデオ)

エリザベス・オコナ―さんがご自分の貴重な体験について語るのをYouTUBEでご視聴いただけます。
https://youtu.be/UeTEb9N84vc

 

 

(Source:Survivor Story-Let's Win Lustgarten Foundation)

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<免責事項>この医療記事は、アメリカのサバイバーの経験を紹介する目的で書かれています。特定の治療法や薬の使用を推奨するものではありません。ご自身の病状については、担当医とよく話し合ってください。このウェブサイトの情報を利用して生じた結果についてPanCANJapanは一切責任を負うことができませんのでご了承ください。

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