survivor story enrico

サバイバーストーリー・カタリーナ・ルリ―(ステージ4)

生きたいから化学療法を選ぶ

著者 カタリーナ・ルリー

2020年9月14日

  • 膵癌IV期診断後、より良い治療のために医師を切り替える
  • 化学療法はしばらくの間がんを停止させます
  • 再発後のFOLFIRINOXによる治療

2018年7月に膵臓がんと診断されました。

私は、セントビンセントおよびグレナディーン諸島のベキア島出身で、ここで20年間雑貨店を営んでいました。私は2014年に母親が腰を骨折したときの世話をしにアメリカに来ました。2018年3月、私は腹部と背部に激しい痛みを感じ始めました。母親の世話からきた疲れだと思いました。しかし、次の3か月間、私は腹部に慢性的な痛みを感じ続けました。その間、私は内視鏡検査と大腸内視鏡検査をそれぞれ1回ずつ行い、便のサンプルを採取し生検をし、出血していた動脈の塞栓術、複数回の輸血、そして覚えておきたくないほどの多くの治療を行いました。 私を診た医師たちは、私の症状は貧血のせいだと主張し続けましたが、私はそれは別のものであると確信していました。もっと検査をして欲しいとお願いしました。

最後に、2018年7月に2つのことが起こりました。母が亡くなり、PETスキャンを受けたところ、膵臓と肝臓に腫瘍が見つかりました。死刑宣告だと思いました。これで私の人生は終わると思っていました。しかし、家族や友人は私に強くなるように励ましてくれました。

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サバイバーストーリー・カタリーナ・ルリ―(ステージ4)

生きたいから化学療法を選ぶ

著者 カタリーナ・ルリー

2020年9月14日

 

  • 膵癌IV期診断後、より良い治療のために医師を切り替える
  • 化学療法はしばらくの間がんを停止させます
  • 再発後のFOLFIRINOXによる治療

 

2018年7月に膵臓がんと診断されました。

私は、セントビンセントおよびグレナディーン諸島のベキア島出身で、ここで20年間雑貨店を営んでいました。私は2014年に母親が腰を骨折したときの世話をしにアメリカに来ました。2018年3月、私は腹部と背部に激しい痛みを感じ始めました。母親の世話からきた疲れだと思いました。しかし、次の3か月間、私は腹部に慢性的な痛みを感じ続けました。その間、私は内視鏡検査と大腸内視鏡検査をそれぞれ1回ずつ行い、便のサンプルを採取し生検をし、出血していた動脈の塞栓術、複数回の輸血、そして覚えておきたくないほどの多くの治療を行いました。 私を診た医師たちは、私の症状は貧血のせいだと主張し続けましたが、私はそれは別のものであると確信していました。もっと検査をして欲しいとお願いしました。

 

最後に、2018年7月に2つのことが起こりました。母が亡くなり、PETスキャンを受けたところ、膵臓と肝臓に腫瘍が見つかりました。死刑宣告だと思いました。これで私の人生は終わると思っていました。しかし、家族や友人は私に強くなるように励ましてくれました。

 

■より良い医者を見つける

私は地元の腫瘍専門医を見つけ、彼のもとで2ラウンドの化学療法を行いましたが、何もうまくいきませんでした。また輸血が必要でした。

そこで私は非常に長い間知り合いの医者、マイアミのジャクソン記念病院のデービッド・ウールジー医師に相談しました。そして彼はシルベスター・キャンサー・センターのピーター・ホセイン医師を紹介してくれました。私はそこでまず出血を止めるための塞栓術を受けました。そしてホセイン医師は腫瘍を縮小するために12ヶ月の化学療法をオーダーしました。 2019年7月までに、PETスキャンをやり直すのに十分なほどがんが縮小しました。私には遺伝子変異がなかったのに、ホセイン医師は最新のオラパリブ(商品名:リンパルザ)の治療を試してくれましたが、うまくいきませんでした。

11月、私は自分のどこかに問題があることに気付き始めました。私は12月にERに行き、そこの医師は私に腎臓結石があると考えました。しかし、PETスキャンは、癌が戻ったことを示しました。それで、1月にホセイン医師はFOLFIRINOXでさらに7か月間の化学療法を始めました。私が化学療法を始める前に、ホセイン医師は私たちに良い治療があることを説明し安心させてくれました。 2020年6月のPETスキャンでは無事に腫瘍が消えていましたが、まだ化学療法を続けています。

■治療と副作用への対処

治療期間中、私は自分の通常のルーチンをできるだけ守るように努めました。私は孫と多くの時間を過ごしました、そしていくつかの短い旅行さえしました。あまりにも弱かったときでさえ、私は人生でいつもしている通常のことをしました。私は自分の日常の活動を行い、自分の人生を止めないことが重要と考えています。

治療中に約40ポンド(18Kg)も体重を落とし、特定の時間に化学療法のインフュージョンポンプ機にも接続されていましたが、できる限り普通の生活を続けました。私はポンプのことを「夫」と呼び、ポートのことを「私の赤ちゃん」と呼んで孫を笑わせました。私の孫は私に力を与えてくれます。私の孫を見ていると、彼が成長するのを見守りたいと思います。

ガンのせいで食生活やライフスタイルが変わり元気になりました。

私の最大の問題は足の神経障害でした。抗がん剤で損傷した抹消神経は私の足に炎がついているように感じさせます。私はCBDオイルが足の障害によいことを知り、温かいお湯も役立つことを発見しました。ホセイン医師は、オキサリプラチンをしばらく休薬してくれたので、神経障害からは助けられました。しかし、私には足のしびれの方が、癌よりましなのです!

■メンテナンス療法での生活

私のがんは現在安定していますが、維持するには化学療法を継続する必要があります。 CA 19-9が少し上がったので、オキサリプラチンの投与も戻りました。私は個人的にはCA 19-9の数字よりもCTスキャンに集中することを好みます。

ホセイン医師の右手、テリンポロック先生も、そして他のスタッフも素晴らしいです。彼らは非常に役に立ちました。私の家族や友人は毎日電話をかけて私を励ましてくれます。しかし、その多く友人は自宅のあるカリブ海に戻っているので、私は時々孤独に感じます。

私は、「がんがある」とは言いません。私は「がんと診断された」と言うようにしています。違いがあるのです。私はより強い人になるために、小さな些細なことを手放す方法を学びました。私はあきらめません。私は医者と神に信頼を置きます。

(Source:Survivor Story-Let's Win Lustgarten Foundation)

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<免責事項>この医療記事は、サバイバーの経験を紹介する目的で書かれています。特定の治療法や薬の使用を推奨するものではありません。ご自身の病状については、担当医とよく話し合ってください。このウェブサイトの情報を利用して生じた結果についてPanCANJapanは一切責任を負うことができませんのでご了承ください。

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