matumoto mayumi

長期サバイバーへの道―画期的な術前補助療法と外科切除ーによる膵臓がんからの生還

 

2013年10月31日、膵体尾部脾臓摘出手術をしました。私が膵臓がんの告知を受け、手術をしてから、早いもので3年7ヶ月が経ちました。いま考えると術前化学療法がよく効いたお蔭でがんが縮小し、それで手術がうまくいったのかなと感じています。

matumoto mayumi

長期サバイバーへの道―画期的な術前補助療法と外科切除ーによる膵臓がんからの生還

サバイバーストーリー:松本眞由美(膵腺癌患者歴 3年7ヶ月)   2017年6月1日

 

■膵臓がんの告知と家族への思い

 私が膵臓がんの告知を受け、手術をしてから、早いもので3年7ヶ月が経ちました。

2013年7月、毎年受けていた健康診断の結果、血糖値が急に高くなり、「要精密検査」の通知がきて、糖尿病の専門医の診察を受けました。手紙(健康診断の結果)を見せると糖尿病ですと診断され、治療前に、他に病気がないか色々検査を受けて帰宅しました。その2日後、医師より「膵臓がんの腫瘍マーカーが高いので、CT検査の説明のため来てください」と電話が有りました。主人にその事を伝えると、第一声が「俺を一人にしないでくれ!」でした。主人のこの言葉を、私は忘れることができませんでした。なぜなら、その2年程前に、私の知人が膵臓がんであっという間に亡くなっていたので、この病気の恐ろしさを知っていたからです。就職浪人の息子、体調崩し入院中の看護師の娘、そして主人を残して死ねないと思いました。

造影剤CTの後、やはり悪性の可能性が高いので、と総合病院を紹介され、予約した診察日まで3日ほど待ち時間がありました。私達は、娘が小学6年生の時、血液の難病により骨髄移植を経験したことから、正しい医療情報の大切さが身に染みていました。それでこの3日の待ち時間のあいだ、主人は「どんな事をしてでも私を助けよう」と、必死に情報収集に奔走してくれ、やはり膵臓がんの治療には症例数が多いところがよいということになり、主人のおかげで、決まっていた病院に行く予約日の前日に、症例数が豊富な手稲渓仁会病院の診察を受けれることになり、こちらに病院を変更しました。

 

■手稲渓仁会病院での画期的な術前補助療法から手術へ

2013年8月、手稲渓仁会の初めての診察。「もしかしたら膵臓がんではなく、特別な膵炎かもしれないのでは」という淡い期待を持ちながら検査を受けましたが、やはり膵臓がん。ステージ4aでした。私は幸運にも手術対象(手術可能)でした。

 しかし、膵臓がんは再発が多いということで、最初に、私の体力の有るうちに抗がん剤治療でがんの勢いを弱め、うまく腫瘍が小さくなれば手術も有利となるという「術前補助療法※」を行い、その後で手術することになりました。

当初の計画では、術前化学療法としてジェムザールとTS-1を4か月続けた後、2013年12月に手術をする予定でした。

※用語の説明  

術前補助療法とは、膵臓がんの初期治療として、手術で切除しやすくするためにがんを小さくしたり、目にみえない小さな転移を根絶させることを目的に手術前に行う全身治療をいいます。

抗がん剤治療による副作用は、あまり無かったのですが、2週目の抗がん剤治療の後で白血球がいつもより低くなり、抗がん剤は中止となりました。8割、6割と抗がん剤を減らしていっても2週目は、ほとんど治療中止(抗がん剤投与ができない)の状態でした。しかし、その後のCT検査で腫瘍が縮小していることが判明したので、2013年10月31日、膵体尾部脾臓摘出手術をしました。

 

■手術のタイミングと先生の判断

 手術の予定が当初12月だったのが、10月になりました。主治医の先生との会話で、「予定通り、引き続きもっと抗がん剤治療を続けていたら」と質問しました。

先生は、「抗がん剤投与の途中でがん細胞が暴れだし、ほかに転移してしまうと、手術のチャンスを失う」ということで,腫瘍が縮小した、この時期に手術することになりました。

心配性の主人は、パンキャンのパルズ電話相談に何度も電話をしていくれて、電話相談でどんなに助けられたかと、本当に心から感謝しています。麻酔から覚めた時、息子が大粒の涙をポロポロと流してくれた姿を見て「助かって良かった」と思ったことは、一生忘れられない光景です。

 

■手術を乗り越えて-忘れられない思い出

 術後3ヶ月で私の夢のひとつでもあったアメリカのセドナの山を登り、山の頂上で、「病気を克服し、膵臓がんの希望の星になる」ことを誓ってきました。行けるかどうかわからないまま、治療の途中で申込みしたこの旅は、神様からのプレゼントだったかもしれません。

もうひとつの私の忘れられない出来事は、病院で同室だった最初の膵臓がん仲間だった彼女のことでした。術後半年程で再発してしまい、抗がん剤治療は、効果が得られず自宅で療養している彼女を、同じく同室だった仲間とお見舞いに行きました。

彼女を抱きしめると、痩せてしまいゴツゴツとしていたけれど体温の温もりが心の暖かさのようだったことと、「眞由美ちゃん、空で見守っているからね。」とかけてくれた言葉は忘れられませんでした。

それからまもなく彼女は、本当に空に旅立ってしまいました。私は、改めてこの病の恐ろしさ感じながらも彼女の分まで生き抜くと心に誓いました。

 

■術後の経過

術後補助療法として、術後の再発予防にTS-1を半年服用しました。現在は、定期検診で経過観察しながら糖尿病でインシュリン注射治療していますが、普通の生活を送っています。術後1年経った時、主治医に再発のことを尋ねると、1年以内の再発予想だったらしく、「嬉しい誤算」と話してくれました。

この時に生かされた人生、自分の経験が、膵臓がん患者さんのために何か出来ないかと自分の闘病経験を語る、「がんの語り手講座」の受講につながりました。語り手の活動しながら、その講座で知り合った膵臓がん患者3人と、設立を強く押し進めてくれた仲間で、北海道で初めての膵臓がん患者会「パンキャンジャパン北海道アフィリエート〔支部〕」の活動を行っています。

仲間のための北海道アフィリエートの活動も、まだまだ不慣れで戸惑うことがも多いのですが、揺るがない目標でもある「膵臓がん関係者に希望の光をお届けすること」を胸に、活動を続けていきたいと思っています。

topmessagedonation001

Take Action

druglag-petition

Tell us your story

SliderNAD

膵臓がん National Advocacy Day

膵臓がんになった多くの方が、今、真摯に自分の治療に向き合っています。

 生存率を向上させ、治る病気にするためには、 

  あきらめず、これに力を与え、  

希望をつくり、良いアウトカムをもたらすことが必要です

治るがんにしていくために、多くの力が必要です。多くの関係者が生存率向上に立ち向かっています

今、あなたの力が必要です

膵臓がんをあきらめないために

あなたもこのアドボカシー活動に加わってください

previous arrow
next arrow
Slider